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この国に原発は必要か①

福島原発 ~その1 何より事実の検証を~

東日本大震災と同時に原発事故が発生して、3週間が過ぎようとしている。この原稿を書くのは憂鬱である。未だ惨禍の中で苦しみ、現場で悪銭苦闘している人たちの努力を思えば、議論すること自体がひんしゅくものかもしれない。それでも今ゆえに、議論しなければならない。そう思えるのだ。反論、非難は承知の上で、この国の進む方向を語らなければならない。子ども達にどんな未来を託すのか? それは私たちの責任だ。

県医師会では、現在進行形に震災の医療支援を続けている。会長自らが、4月と同時に福島入りをする。一旦事が起こった際の彼の行動力には、身内ながら感心する。その打ち合わせ会議で、私はこう言った。「県医師会が先頭に立って、原発の反対運動をしないか?」と。その場で、上がった声は二つ。「僕は原発に一律反対ではない」「そういう政治的運動は医師会の仕事ではない」おそらく、両者とも正論だろう。
20年前、私は明らかに原発容認派だった。いや、容認派、反対派などと言う言葉そのものさえ意識していなかった。ただノー天気に、「空気も汚さない。化石燃料も必要としない。資源のない日本にとって、理想的なエネルギー」そう信じていた。プルサーマルに至っては、使用済み核燃料をリサイクルできるって、素晴らしい。日本にとって切り札だ。やったー、という具合である。要するに、何も深く考えず、電力会社と国の言葉を額面通りに受け取っていた訳である。風向きが変わったのは、「核戦争を防止する石川医師の会(略称、石川反核医師の会)」という団体に義理で入会することになってからである。
この会は、旧松任市医師会会長、登谷栄作先生が個人的信条から誕生させた組織である。詳細はおくとして、一人の医師として先生が立ち上がろうとした気持ちは今になってようやく理解できる。当時は、頼まれるとイヤと言えない自分がうらめしかった。
その運動の中で何度か日本の原発に関して、講演を聴く機会を得た。エポックメイキングは、六ヶ所村再処理工場に反対する青森県の女性歯科医師との出会い。そして、京都大学原子炉実験所准教授、小出裕章先生の原子力の講義だった。そこで知ったことは、自分が信じてきた常識が如何にいい加減なものだったかということに尽きる。「石炭は1000年は枯渇しない」「天然ガス、メタンハイドレートなど新たな燃料源が次々と見つかっている」「ウランの埋蔵量はエネルギー換算で、石炭の数十分の一。最も早く枯渇する再生不能資源でしかない」そして、何より「ウランとそこから生み出される放射性物質を人類は未だにコントロールできていない」という衝撃的な事実。皆さんは、六ヶ所村の再処理工場から、今も放射性物質が海に流され続けている事実をご存じだろうか? 原発推進論者の学者と、京都大学原子炉実験所。いずれかが虚偽を並べている。そして、もっと恐ろしかったことは、自分たちの未来を左右しかねない危険をまるで承知していない社会の空気だった。
日本人全体が洗脳されている。多分そうだった。
原発は必要である。そう断言してはばからない多くのインテリ達の中で、一体どのくらいの人間が、原発についてきちんと知識を習得してきたろうか? 電力会社と国が作成したパンフレット以上の何を学んできただろうか? 原発の裏に潜むリスクに見合った普遍的知識を身につける努力を払っただろうか? 自らに問い直してほしい。無論同じ事は自分自身にも言えることなのだが・・。

産業界のすべては金の論理で動いている。
私は日本の企業を信用できない。製品を信用できないということではない。お金と安全を天秤に掛けた場合、必ずお金が優先されるという規範を指しているのだ。だから、中医協に出てくる産業界代表の発言は誰に代わってもいつも同じだ。「厳しい財政状況の中で医療費を上げる環境にない」彼らは一人の人間としての信念を述べているのではない。営利企業という極めて冷徹な意志がただ機械的に言葉を並べている。彼らの眼には巨額の医療費や福祉は無駄な支出としか映らない。非正規雇用の増加もその延長線上にある。
消費期限を過ぎた牛乳を使い続けた雪印。車両データを改竄していた三菱自動車。悲惨を極めたJR西による福知山線列車事故。数々の食品偽装。すべてが利益至上主義の果てに起こっている。名を連ねるのは一流の企業ばかりである。そして、その産業界に政治や官僚が絡む。
同じ構図が原発にも当てはまる。電力会社、原子力安全委員会、保安院、経済産業省。みんな原発推進論者ばかりである。監督する方もされる方も、みな一体である。官僚の天下り先は、電力会社。原発推進論の学者は、国の委員会のトップに就き、優遇される。ポストも金も同様である。一方、反対に立つ学者達には、そんな恩恵は何もない。彼らを動かすのは使命感と学者としての良心のみだろう。
原子力安全委員会のトップ、班目春樹氏は、2007年2月中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟における証人尋問で、非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べている。
そして、もう一つ。京都大学原子工学出身の吉井英勝衆議院議員の国会における質問。
昨年5月のことだ。氏は、自然災害が重なった時、外部電源が断たれ、内部もアウトになる可能性がある。その事態への備えはどうするか? まるで今回の原発事故そのものような質問である。これに対して資源エネルギー庁原子力安全・保安院長は、「小さなトラブルの積み重ねで炉心溶融は理論的にはありうるが、現実的には起こりえない」と断言している。
さらに産業技術総合研究所の岡村行信活断層研究センター長(地質学)は、869年の貞観地震で東北を襲った大津波を研究し、その規模が東電の想定を遙かに超えるものだと何度も警鐘をならしてきた。これは2009年の経済産業省の審議会での議事録にも残っている。東電は? 「引き続き検討を進める」つまり、何もしないと答えている。

日本という国が、そして電力業界がこの危険な原発に固執する理由は、何だろうか?
答えは極めて明瞭である。単位辺りの電力生産コストが最も低いのである。ここがすべての出発点なのだ。はじめに原発ありき。そこから生み出される膨大な利益は、過疎地の市町に分配され、一方住民はその安全性の主体的検証を放棄することで原発と共存してきた。誰に責任があるか? 責任の軽重を問わなければ、一億の国民全体が傍観者の名の下に連帯責任を負うべきだろう。
今すべきことは一つである。私の言葉を信じる必要はない。ただ、事実をきちんと学ぶことから始めてほしい。「原発は、資源のない日本にとって必要なもの」「原発事故はただただ想定外の地震と津波のため」それらが果たして真実なのかどうか? 自らの目と頭で検証してほしい。そうしなければ、再び同じ悲劇が起こる。

医師会は、この未曾有の災禍の中で、何をなすべきなのか?

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