胃・大腸の内視鏡を専門として、地域医療に取り組んでいきます

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戦争と混合診療解禁

イスラム国
二十世紀は戦争の世紀と言われる。確かに二度も世界大戦があった。気の遠くなるほど多くの人が死に、そして、物が、文化が破壊された。人は何のために戦う? すべての当事者が自分達の正義を振りかざし、相手の命を奪うことに狂奔する。人間とはかくも愚かな生き物なのか?
そうして、二十一世紀。市民社会の成熟は、反核という平和運動のうねりをもたらし、確実に世界を変えようとしている。その一方で、地球の至る所で、依然として戦火は絶えることがない。アフガニスタン、イラク、ウクライナ、シリア、そしてイスラム国の台頭。一体何が人を戦いに駆り立てるのか? 百年後、万物の霊長と自称する生物が地上に繁栄し続けているのか? そうだと断言できる自信は私にはない。
戦う理由が宗教だと言う人がいる。私にはそう思えない。確かに、イスラムとキリスト教は、十字軍に代表されるごとく、世界史上死闘を繰り広げてきた。今、イスラム国の兵士として戦う異国の若者達は、イスラムの教えに揺り動かされ、集ったのか? そして、かくも残忍な処刑を行ったのか?
やはり違う。そうではない。人は、環境によって如何ようにも変わる生き物だ。もし、ネットで公開処刑を行っているあの若者が、私のいや皆さんの家庭に生まれ、育っていたら、同じような生き方をしただろうか? 多分、そうはならなかっただろう。不幸なのは彼ら自身でもある。彼らをモンスターと片付けるのはたやすい。しかし、なぜそんな若者達が生まれたのか? その背景こそを考えなければならない。そうしなければ、世界は際限のない殺戮の場と化してしまう。そう、モのモンスターを生み出した一因は、他ならぬ欧米諸国自身にあるからだ。
自分の立っている場所で、自分達の常識で、戦場の狂気など語ることはできない。そんな所から、世界の底辺は見えやしない。食べる物にも着るものにも不自由したことがない。豊かであることが当たり前。それが日常となった私達に、戦場に生きる場を求める若者達の心理など推し量ることはできない。大切なのはその自覚から出発することだ。
アメリカの上流階級が暮らす町でこんなことがあった。州の中で突出して豊かなその町の住人達は、「なんで私達の税金が自分達の町のために使えないの? 自分達の町に優先して住民税を投入してよ」と。馬鹿げている。彼らは大きな錯覚を起こしているのだ。その一番は、自分達の豊かさが自らの才能と努力だけで獲得されたものだという過信だ。そして、二つ目は自らの富を保障し、豊かさを提供しているのはアメリカという社会があってこそだという事実に気付いていないことだ。
今、私は恵まれた環境の中にいる。自由に自分の意見を言い、おいしいものを手にすることができる。そして旅に出る。そのすべてが私自身の才能と努力の故か? そんなことはない。医者として働くこと、その資格によって、生計を立てること。そのすべては日本という国とシステムにより裏打ちされたものに過ぎない。
もし、北朝鮮に生まれていたら・・もし、パレスチナに生まれていたら・・あるいはシリア、イラクに生まれていたら・・。自らのどんな才能によって、豊かさを手に入れることが可能となるだろうか?
今、世界の富の6割はアメリカが握っている。そのアメリカの人口は世界のわずか6%に過ぎない(アメリカの中でさえ、富の偏在は著しいが・・)。なぜそんなことが可能なのか? 理解できないのは私だけではないだろう。資本主義というシステムの故か? ドルという最初の基軸通貨の故か? その辺りの事情は経済学者の出番だろうが、結果として世界中から借金をしながら、世界中の物を自国に集め、贅沢三昧をしているのがアメリカという国だ。そして、どんなきれい事を言おうが、それを可能としているのは間違いなく世界最大の軍事力だ。中国が挑むのはその体制の打破だろうが、その強固な壁を突き破ろうとすれば、それは周辺国には「新興やくざ」の横暴にしか映らない。有り体に言って、植民地支配の勝ち組と後から来た新興やくざの戦い。アメリカが正義だなんて、あまりに格好よすぎだろう。日本? 日本は一番強い者の腰巾着になって、食いはぐれのない生き方を貫こうとしている。その是非は別して、自らの立ち位置は自覚しなければならない。
世界の資源は有限だ。今のアメリカ、日本人の平均的暮らしを世界中の人達が享受しようとすると地球4個分の資源が必要とWHOは試算した。お分かりだろうか? 私達の豊かさは誰かの犠牲の上に成り立っているものなのだ。
生まれながらにして食うものもない。明日の命の保障もない。そこに生まれたという理由だけで、爆弾に曝され、命を奪われる。そうした絶望的環境の中で生を受けた子ども達。あるいは働いても働いても、家族を養うことさえできない若者達。彼らは一体どこに行き場所を求めるのか?
スコラとは、英語でスクール。学問という意味の他に余暇という意味がある。本を読み、音楽を聴き、哲学を語る。そうしたことのすべてが余暇というゆとりの上に成り立つ。人間性、他者への思いやりもそうした環境で初めて育まれるものだ。生きる場所を失った彼らには、アメリカを頂点としたシステムのすべてが理不尽だろう。世界に巣くうテロ、イスラム過激派は、そうした淀みに湧くボウフラそのものだ。淀みが無くならぬ限り、テロの根絶などできはしない。
人と戦う。人の命を奪う。そんな究極的な選択には、必ず自らへの理由がいる。それ無くして、人は正常ではいられない。「現実の世界に神はいない」「自分達のみが虐げられている」その世界を壊すのに、イスラム国の教えはまたとない救いだったろう。それを信じれば、人を殺す理由ができる。それが正義だと盲信できる。宗教はたまたまそこにあっただけだ。そうして殺人者は自らの精神の平衡を保っているのではないだろうか? 宗教だけではない。人を分け隔てる醜い言葉が世界にははびこっている。「Japanese only」「ヘイトスピーチ」そこには、敵と味方を峻別するワンフレーズがあふれる。峻別の先には、相手の存在を許さぬ憎悪が渦巻く。それこそが戦争だ。世の中に殺されていい人間などはいない。もし、殺人者をモンスターと呼ぶなら、モンスターを生み出した貧しい社会こそが問われねばならない。
豊かさの偏在、富の偏在。それは日本の今でもある。非正規雇用は1900万人を超え、相対的貧困率は16%を超える、この値はOECD国中、第二位に当たる。これが日本の現実だ。その日本で混合診療解禁すべきと叫ぶ経済人がいる。あまつさえ、それを是とする医療人がいる。病院訪問では、「混合診療に賛成」「混合診療解禁に反対するのは医師会の利益を守るためか」という声がある。彼らに問いたい。あなたは何のために医者になったのか? 人の命を救うために、子ども達を守るために! それが原点ではなかったのか
。決して、金持ちの命を守るために、ではなかったはずだ。混合診療を全面解禁した時に、そこに生まれるのは間違いなく命の格差であり、格差の固定化だ。リッチな部屋に泊まる。ちょっとおいしい物を食べる。そんな格差はいい。でも、命の格差はごめんだ。金を払える人のための医療など、そんなもの医療でもなんでもない。命の最前線で格差を是認したとき、この日本という国は間違いなく壊れる。他人を犠牲にした豊かさなど長続きするはずがない。

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