胃・大腸の内視鏡を専門として、地域医療に取り組んでいきます

MENU

竹島問題を考える~後編

旧竹島地図

竹島の歴史を語る前に、ちょっとした事件を披露したい。つい最近、竹島までの遠泳に参加した韓流スターがいた。泉谷しげるが、その行為を軽率と非難したことに対し、彼は反論の最初にこう言っている。「日本人はホントに歴史を知らない」実に面白い。この言葉は、確かに半分は当たっている。日本人は自国の歴史を知らなさすぎる。竹島の歴史どころか、近代史だって怪しいものだ。一方、だからと言って、韓国人が歴史を正しく知っているかと言うと、そうではない。彼らは小学校の頃から、竹島(韓国名、独島)のことをたたき込まれている。だから、誰もが竹島にある程度の知識を持っている。当然官製の教科書だから、自分の国に都合のいいように書かれている。活字だろうが、教科書だろうが、そんなもの何の当てにもならない。日本でも歴史教科書はその程度のレベルである。そういうレベルでの論争には行き場がない。
さて、竹島である。話がこじれる元にもなっているが、現在の竹島は江戸時代、松島と呼ばれていた。当時の古文書にも古地図にもそう記されている。この松島の西方にもう一つ島がある。現在の鬱陵島(ウルルンド)である。この島が当時日本では竹島と呼ばれていたのだ。この鬱陵島には、朝鮮、日本双方の漁民や商人が勝手に入り込んだため、両者に軋轢が生じた。対馬藩を挟んだ数年に亘る交渉の結果、江戸幕府は鬱陵島(当時の竹島)への日本人の渡航を禁止した。つまり、朝鮮領と認めたのである。後に明治政府が、松島を島根県に編入した際に、わざわざ竹島と名称を変更したことが話を複雑にしている。竹島→鬱陵島、松島→竹島(独島)、という変遷である。ややこしい話でしょう。話がこんがらがるので、便宜上昔の竹島を旧竹島。今の竹島を新竹島と呼ぶ。旧竹島と松島(新竹島)の関係であるが、旧竹島(鬱陵島)は山あり、川有り、面積も能登島の約1.5倍。住民の数も現在1万を超える。もう立派な地域社会である。松島(新竹島)はただの岩礁。誰も上陸もしなければ、興味もない。風除けと波よけの海域の意味しかなかった。つまり、当時の価値観からすれば、ほとんど見向きもされない島だったということである。旧竹島は、確かに朝鮮に譲ったが、新竹島はその後も日本の領土であり続けたというのが日本の立場だ。
明治になって、二度新竹島をめぐる大きな出来事があった。
一つは、明治十年の閣議決定。最後の一文が物議を醸している。「書面竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」(参考資料②)これは、旧竹島が日本ではないと記した文書であるが、『竹島外一島』が何を指すのか、それが論争点となっている。韓国は、この文言をもって、『竹島外一島』=松島(新竹島)と主張し、この二島が朝鮮領だったと主張する。さらに、明治十六年渡航禁止令が出ている。「日本称松島一名竹島朝鮮称欝陵島ノ儀ハ従前彼我政府議定ノ儀モ有之、日本人民妄ニ渡航上陸不相成候条」(参考資料③)当時、松島と竹島は別の島であるにも係わらず、「松島=竹島=鬱陵島、へは、上陸するな!」と、書いてある。この文書も又混乱に拍車をかけている。
最後に前述した明治三十八年の新竹島領有宣言である。このとき、松島から竹島への名称変更が行われ、同時に島根県への編入も決定されている。
古文書は、日韓双方に多々存在している。この論争を国民レベルで展開しても、ただのケンカにしかならない。歴史を検証し、資料を分析、判断するのは歴史学者の仕事である。
しかし、現在日韓の溝は全く埋まろうとしていない。
戦後韓国は、連合国すなわちアメリカに対して、何度か竹島を日本の領有から外し、韓国に渡すよう求め、そのたびに拒否されている。ここからは、私の推測だが・・韓国はおそらく大きな賭けに出たのではないだろうか。歴史的妥当性はどうあれ、戦後新竹島を実効支配していたのは日本だった。植民地という歴史の代償として、新竹島くらい自分たちの物としてどこが悪い。そう考えたと推測しても、あながち的外れではあるまい。さらに、戦後の混乱期の日本を見て、今しか事を起こすチャンスはない、そう考えた。李承晩ラインによって、海に一方的に軍事境界線を引き、昭和28年4月に至り、新竹島に守備隊を上陸させている。さらに、同年7月12日海上保安庁巡視船への発砲事件が起こる。
まさに、一触即発。戦争とは言わないまでも軍事衝突が起こってもおかしくない。しかし、日本は戦いを避けた。もし、このとき戦っていれば、事態は変わっていただろう。誤解無きように言っておくが、戦争は大嫌いだ。ただ、国際社会の現実を指摘しているに過ぎない。
皆さんは、フォークランド紛争をご存知だろうか? 1982年に起こったイギリスとアルゼンチンの正規軍同士の紛争である。アルゼンチンの目と鼻の先にある小さな島の集団であるフォークランドに対し、アルゼンチン軍が進攻したことに端を発する。領土としての経済的価値はほとんどなく、イギリス本国からも冷遇されてきた島々であるにもかかわらず、イギリスは何と49隻の機動艦隊からなる大部隊をフォークランドへ出撃させる。ソロバンの計算上からは、どうみても帳尻が合わない。詳細は省くが、この紛争は結果としてイギリス軍の大勝利に終わった。イギリスが正しいなどという気はさらさらない。むしろ、本国から見放された貧しい島を経済的に支援していたのは、アルゼンチンである。心情的には、アルゼンチンにこそ帰属すべき島である(まるっきり、個人的意見です)。ただ、領土を守るとはそういうことなのだ。
大きな危険を冒し、その結果として、現在新竹島を実効支配している韓国が国際司法裁判所への提訴に同意するはずがあろうか? そんなことはありえない。
最後のKeywordの④である。慰安婦問題と、竹島問題なんて、全然関係ないじゃん・・。そう言われるだろう。そうそう、確かにそうなのだ。どっかの首相もそう言ってた。しかし、関係あるのだ。
李明博大統領は、実は親日派である。又、叱られそうだが・・。彼は日本で生まれ、四歳まで日本の大阪で過ごしている。彼は大統領になった当時、歴史的問題は棚上げとし、未来志向の日韓関係を作り上げたいと何度も繰り返している。その潮目を変えた大きな要因は間違いなく、「従軍慰安婦問題」である。韓国からの謝罪並びに賠償請求に対し、日本の立場は1965年に批准した「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」により、韓国のすべての請求権は放棄された、というものである。長たらしい条約名であるが、簡単に言えば、11億ドルの経済協力金を払うことで、すべてに決着をつけた。そう言っているわけだ。
ただ、韓国から見れば、少し事情は違う。協定が結ばれた当時、従軍慰安婦問題など、両者の間で全く認識されてはいなかった。その後、多くの従軍慰安婦の証言、歴史的検証により、1993年河野談話が発表された。「慰安婦は存在し、本人達の意思に反して集められた事例があった」と認めているが、日韓双方の激しいせめぎ合いがあり、極めて歯切れの悪いものとなっている。さて、その後もこの問題はくすぶり続け、少なくとも李明博大統領の中では、大きな問題であり続けたと想像できる。これにKeywordの②が絡む。従軍慰安婦、相手の立場から見れば、どうだろう? 私は心が痛む。日本の一部の保守政治家は、強制性そのものを否定する。一体どちらが正しいのか? それを判断する立場に私はない。現在も精力的に日韓双方の学者(参考資料④)による従軍慰安婦問題の検証が行われている。その一人が金沢大学法学部井上英夫教授である。教授は韓国において従軍慰安婦の方達からの聞き取り調査を行っている。そうした努力の積み重ねがやがて事実を明らかにしてくれるだろう。ただ、一つ言えることがある。政治的信条により、歴史的事実が歪曲されることなどあってはならない。事実は常に一つだ。
李明博大統領の再三の要求に対し、日本は前述の答えに終始した。それどころか、韓国日本大使館前に建てられた従軍慰安婦像の撤去を求めた。少なくとも外交的視点に立てば、交渉相手の真意と本気度を見誤ったことは間違いない。
かくして、日本の対応に業を煮やした李明博は日本の最も嫌がる新竹島訪問を決行した。韓国内の政治情勢もあろう。彼の資質もあろう。しかし、従軍慰安婦問題という過去も又、今回の事件と密接に関係している。そう私は確信している。

参考資料)
①Johnson and Ward 日本地図(1863年)
②明治政府内務省発 太政官指令(明治十年)
③明治十六年三月一日明治政府内務卿通達
④「在日韓国・朝鮮人の人権保障及び戦御補償問題解決に向けた実証的総合研究」
金沢大学法学部教授 鴨野 幸雄 1996-1999年
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/08402001.ja.html

PAGETOP
Copyright © 大平胃腸科外科クリニック All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.