胃・大腸の内視鏡を専門として、地域医療に取り組んでいきます

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11.縄文人のおしゃれ

ヒスイ
医報担当のI嬢はなかなかのしっかり者である。彼女のおかげで医報は曲がりなりにも何とか期日発行を続けている。深謝!さて、そのI嬢が先日原稿を届けに行った私にさりげなくこう言った。「先生の原稿、最近ほとんど縄文のこと書いてありませんよね。ちょっと時代がずれているんじゃ・・・」(ドキッ、鋭い!)「あ、実は今度から又縄文のこと書くつもりだったんだよ。ハハハ・・」と空虚な笑いを残して、そそくさと県医師会館を後にした私であった。(俺、別に考古学者じゃないし・・・ぶつぶつ)
そういうわけで今回からは再び縄文へ帰って、人々の生活を語ることにしたい。さて、学校で習ったことをおさらいするまでもなく人間の生活は衣食住で成り立っている。優先順位を付けるなら、食→住→衣となるだろうか。食べる物があり、住むところが保証されて初めて、人は自分の身繕いを気にする。つまり装飾品こそが、その民族の豊かさを表している。そう考えてもあながち的外れではないだろう。
三内丸山から発掘された装飾品。その種類、サイズは実に多様だ。クシ、ヘアピン、耳飾り、首飾り、ペンダント、腕輪、腰飾りなどなど。言ってみれば、全身飾らなかった部分がないほど賑やかだ。
耳飾りは現代のピアス式に似て、耳たぶに穴を開けてはめ込んでいたものらしい。これらは発見された装飾品そのものと土偶における表現から類推されている。
今回は装飾品の中でも特にペンダントと首飾りに着目したい。写真は三内丸山遺跡から発掘された5000年ほど前の出土品だ。いずれも大珠と呼ばれるヒスイの原石を加工したものだが、硬度7(硬度10はダイヤモンド)と言われるこの硬い石にどのように穴を開けたのか?答えは割愛するが、縄文人の技術の高さを窺い知ることができる。興味ある方は自分で文献を調べられれば、又縄文ファンが一人増えるに違いない。
さて、このヒスイだが、実は日本全国の縄文遺跡から発見されている。三内丸山からも、無論わが真脇遺跡からもである。一方、昭和初期まで、このヒスイは日本原産のものではないとされてきた。今のミャンマー辺りからの輸入ではないかと考えられていたが、その当時東南アジアと物の交流があったとしたら、それはそれですごいことだ。その後、国内におけるヒスイ原石の発見、ヒスイ大珠の成分分析などにより、ヒスイの原産地は今の新潟県姫川付近と特定された。更に糸魚川近くにはヒスイ原石の加工工場があったことまで突き止められたのである。すごいでしょう。
原石を採取し、それを加工する。そして、更に流通ネットワークにのせる。その影には加工する技術者、採掘から加工の管理者、運送担当者、物々交換のシステムなど、高度の文明の存在が見て取れる。縄文時代は想像より遙かに豊かな時代だったと断言できる。物質的な豊かさだけではなく、精神的な領域をも含めて、それはある意味において現代を凌駕しているようにさえ私には思える。
福岡県遠賀郡の山鹿貝塚は縄文早期~晩期の六千年間に渡る生活の跡を持つ。まあピンと来ない時の長さだが・・。注目すべきはここから発見された一人の女性だ。サメの歯のイヤリング二個、緑色大珠一個、タマキ貝の腕輪十九個、鹿角の腰飾り、おびただしい装飾品の数々だ。彼女が特殊な地位であったという推測も成り立つが、そうした豊かなおしゃれを許容できるほど縄文時代が成熟した社会であったことだけは疑いがない。

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