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13.縄文時代の食生活

衣食住のうちの衣(正確には装飾品だが)の次は食について語ってみたい。最近ヘルシーブームが食にも及び、自然食品のお店が増えている。我が家の近くでもフォーラスには「ハーベスト」、8号線ヤマダ電機の近くには「野ふうど」ができた。いずれも女性に大人気の店である。カロリー控えめ、野菜中心だから、ご家族連れで一度訪れてみても期待外れに終わることはないだろう。
さて、こうしたお店どんぐりでは時に五穀米、縄文米と言った主食に出会うことがある。五穀米は米・麦・豆・あわ・きび(又はひえ)のことを指す。一方縄文米として販売されているものは、実は縄文時代に作っていた米とは全く関係がない。と言うより、縄文時代は晩期を除いて、米は栽培されてはいなかった。今 巷で売られている縄文米はお米やさんが開発した独自ブレンド米である。
それでは縄文人は一体どんなものを食べていたのか。実は主食はお米ではなく、ドングリだった。ドングリって、日本人なら誰でも知っていますよね。でもドングリって、実は一種類の木の果実ではないんです(えっ知ってた!すごい)。ブナ科のクヌギ、カシ、ナラ、カシワなどの果実の総称なんです。他にも主食として、クリ、トチ(栃餅の原料)、クルミ、銀杏などがあったが、量的にはそれほど多くはなかった。国立民族学博物館教授の小山修三氏はこのドングリの生産量から、縄文人の最大人口を約二十六万人と推定している。
青森の三内丸山遺跡ではクリの栽培、一部にはヒエが栽培されたことが既に分かっている。こう書いてくると、やはり縄文は米を作り始めた弥生より遅れていると感じる方も多いかもしれない。弥生時代は米に過度に依存したベジタリアンの食生活だった。そのためタンパク質、カルシウム、鉄、ビタミンAが極端に不足していた。
それに比べて、縄文時代の食生活は実に豊かである。獣の肉(シカ、イノシシ、クマ等)、鳥類、魚貝類、野草類、キノコ、果実など、縄文時代の遺跡からはそのバランスの取れた食生活を窺い知ることができる。推測される栄養バランスは、タンパク質:脂質:炭水化物=12:26:62、となっており、現代における理想的な食生活とほぼ重なるものである。
この理想的な食生活は実は自然の摂理の上に成り立っていた。中期縄文時代において東日本に主な遺跡が偏っているのは、ドングリが取れる雑木林が東日本に多かったからである。雑木林は秋に実をつけ、冬には葉を落とす。冬の弱い光も木々の間から、地面に生命のエネルギーを行き渡らせることができる。葉は栄養分となり、様々なキノコや根菜類がそこに育つ。言ってみれば、雑木林こそが生命を育てているのだ。今日本の森林を覆う杉林は江戸幕府の家屋建設推進策がなせる業だ(花粉症の責任は江戸幕府?)
米を栽培するには多くの労働力がいる。昔は八十八回手がかかるほど大変な作物だったことから、「米」と書くようになったとも言われる。一方ドングリは放っておいても、毎年実を付ける。人口さえコントロールできれば、縄文時代程度の人口を養うことは日本列島において、それほど難しいことではなかったろう。
日本の原風景は水田ではない。縄文時代の一万年に渡って、我々の祖先が暮らした住居の周りには必ず雑木林があった。そして、ドングリのアク抜きをするための清流も又必要不可欠のものだった。真脇遺跡が五千年も続いたのはそれに加えて、イルカという上質の蛋白源がそこにあったからだろう。

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