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14.縄文時代の住居

 

zatuwa14

「長寿医療制度」何を思われますか?
さて、これまで縄文時代の「衣」「食」について語ってきた。今回は最後の「住」を取り上げてみたい。この時代で、最初に思いつくのは竪穴式住居だろう。例の茅葺きの屋根で覆われた、傘を広げたような形の建物だ。何本もの柱や梁がそれを支えている訳だが、実は今に残っているのはここでも柱の跡だけだ。穴の方向から、柱の組み合わせ方は確定できても、「茅葺き屋根」と言うのはやはり想像の範囲を超えてはいない。むしろ、焼失した住居跡から発見された柱の上に残る多くの土片から、屋根は土葺きであったことが強く示唆されている。
それよりもっと強調したいことは、三内丸山遺跡にしても、真脇遺跡にしても、この竪穴式住居群は遺跡を彩る一部に過ぎないということだ。濠(ほり)、溝、柵列、石列などの区画施設、長さが30~40mにも及ぶ大型掘立柱建物、更には大型高床建物など、明らかに計画的に作られた考えるしかない町そのものだ。不思議なことだが、こうした大きな建物を支える柱の間隔はすべて1.4mの倍数だった。そこから、縄文人が既に長さの尺度を持っていたことが分かってきた。小さな竪穴式住居の柱の間隔は35cmが多かったことから、35cmが縄文尺の単位だったいう考えが現在の主流だ。無論1.4mは35cmの整数倍である。
建物の話はそのくらいにして、今日お話したい本題に移りたい。それは竪穴式住居に暮らした縄文人達のことである。彼らが一つの家族として、どう暮らし、その一生をどう終えたのか、それこそが私が最も興味を持ったことだった。
縄文時代の家屋からは人骨が固まって出てくることが時にある。その数は二~七人に渡っているが、四人が最も多い。この事実から、竪穴式住居では親子四人で暮らすことが最も一般的だったと想像できる。ワンルームマンションに四人家族。今の核家族の暮らしに近いとも言えるが、それでは老人は一体どこへ行ったのだろうか。
その答えは意外なほどに簡単だ。
墓に埋葬された骨の鑑定から、15歳の平均余命は約16年と推定されている。無論これは平均寿命が31歳だと言うことではない(釈迦に説法ですが・・)。つまり、高齢者と呼ばれるほど長生きすることは極めて稀だった。そこから類推されることは、彼らが早婚であり、且つ孫の顔を見ることはほとんどなかったという事実である。それ故の核家族なのである。乳児の死亡率が現代とは比較にならぬ程高かった時代、正確な平均寿命を算出すること自体が極めて困難な作業である。
縄文中期の遺跡を辿ると、集落の中心に配置された多くの墓群を見出すことができる。彼らは祖先を愛し、敬い、その思いを集団を繋ぐ力としたのである。その風習は近代にまで根強く残り、屋敷内に先祖代々のお墓を持つ家々が今なお日本各地に存在する。縄文時代は自然への畏敬と先祖への愛と言う最も普遍的で人間的な感性に支えられた社会だった。今我々は彼らに誇れる何を持っているだろうか。
長寿(後期高齢者)医療制度。再び何を考えるだろうか。文明の行き着く先を憂うとき、過去へ思いを馳せるのも又意味のあることだろう。人の営みとはその根源において、何も変わってはいないのだから。

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