17今は故人となられた、私が尊敬する産婦人科の0先生は生前よくこう云われた。「僕の楽しみは患者さんを診ることだよ。仕事も趣味も医者そのもの。だから、毎日どんなに忙しくても楽しい」こんな言葉は決して誰にでも吐けるものではない。
先生の記憶は今でも強烈に私の脳裏に焼き付いている。ただ凡人の私に同じ生き方はとてもできそうにない。美しい女性を見てちょっと幸せになり、おいしい食べ物との偶然の出会いに感謝する。そして、季節の移ろいの中で、記憶の中の忘れ物を探しに、ぶらり旅に出る。それが私にとって、生きるための糧に他ならない
さて、世の中に女性がいなかったとしたら、どうなるだろうか。えっ? そんなもん、人類が滅びてしまう、って・・。う~~ん。正しいけど、全然面白くない答えだ。もうちょっと情緒的な答えを!
縄文時代の女性。彼らは何を考え、どう生きたのだろうか。そのお話をちょっとしてみたい。左の図は発見された縄文人の頭蓋骨から、復元した女性の顔だ。佐渡島、藤塚貝塚遺跡から発掘されたものだが、当時の女性がずっと身近に感じられないだろうか。
狩猟採集生活の中で、体力的に優位であった男性は狩猟に従事していた。一方女性は採集の方、すなわちドングリやトチの実を拾い集め、アク抜きや加工といった時間と手間の掛かる仕事を引き受けていた。蛋白質源の獲得は男性、炭水化物の生成が女性といった形の分業が営まれていたのだろう。わがままな男性はより多くの蛋白質を女性に先んじて、摂取していたのだろう。縄文時代を通じて、男女の体格差は開いていく傾向が発掘から見て取れる。縄文中期の男性の平均身長は158.6cm、女性は149cmである。
女性の仕事でもう一つ重要なもの。それは妊娠とそれに続く分娩である。今でも開発途上国では、出産時の妊婦死亡率は異様に高い。出産は女性にとって生死を賭けた大変な営みなのだ。そして、その危険性は初産、若年においてより顕著である。現在よく知られている縄文人の平均寿命に関するデータは31.5才・・・。そう! 女性達は限られた短い人生の中で危険な分娩と出産に挑戦し、子孫を残していったのだ。
おまけに無事出産しても、乳幼児死亡率も今からは想像もできないほど高い。乳児の屈葬が多いのは、当時の出産育児環境の過酷さと劣悪さを物語っている。縄文時代から今に至るまで、「女性は、偉い」と、心の底からそう思う。
ここまで書くと、縄文時代の女性って、すごく不幸で理不尽な境遇だったと思われる方もいるかもしれない。でも実は意外にそうでもない。
日本人男性は概して身体装飾への指向性が低い。その傾向は中年以降の男性において、より強く認められる。少し前まで、若い男性がピアスやパンクヘアをしていると眉をひそめるという状況だった。ところが、これが女性となると全く事情は変わる。かなり過激なファッションをしていても寛大に許されてしまう。美しい女性ともなれば尚更だ(多分に主観が入っているかも・・・)。
縄文時代も同様だった。彼女たちのプロポーションはヨーロッパ人並で下腿と前腕が長かった。その均整の取れた体で、結い上げた髪にかんざしを通し、ピアス、腕輪、首飾りを身に付けていた。その素材もヒスイ、真珠、角、貝、木の実など、実に多彩だ。ちょっといただけないのは、イレズミと抜歯だが、今の感覚でおしゃれを評価しても、フェアではない。縄文に限らず、何時の時代も女性はたくましい。
コロの宝箱
- 初めてのヨーロッパ旅行~イタリア~
- 街角を歩く
- ドクター・コロ~八重山を歩く~
- 八重山を歩くPartⅡ~四度目の訪問
- 縄文雑話
- 01.遙かなる縄文時代
- 02.僕が縄文時代を好きな訳
- 03.プラス3度の世界
- 04.縄文と弥生
- 05.日本の埋葬を考える
- 06.石の時代
- 07.木の文化と文字
- 08.神道と仏教
- 09.和と怨念①
- 10.和と怨念②
- 11.縄文人のおしゃれ
- 12.海の道
- 13.縄文時代の食生活
- 14.縄文時代の住居
- 15.縄文時代と格差
- 16.縄文社会と祭り、そして酒
- 17.縄文人と犬
- 18.縄文の女性達
- 19.縄文人と病気
- 20.真脇遺跡
- 21.三内丸山遺跡その1
- 22.三内丸山遺跡その2
- 23.古代出雲の謎
- 24.能登時国家を語る
- 25.日本の鳥居
- 26.憧れの渤海
- 27.温故知新、そして一服
- 28.日本とはなにか その1
- 29.日本とは何か~その2
- 30.日本とはなにか その3