18医報掲載なのに、病気の話は実は意識的に避けてきた。縄文人はどういう病気で死んだのか? これはおそろしく難しい問いかけだ。考古学だけで突き詰めるには限界がある。だって、残っているのはお墓の中の骨くらいだ。ここではどうしても民族学的考察の助けが必要となる。民族考古学って何? それは又別の機会に・・
さて、それではお墓を掘り返して、少し死因の究明にチャレンジしてみよう。前にも述べた通り、縄文人の平均寿命は31才をわずかに越えたところである。それを念頭に置いた上で、これからの話を読んでいただきたい。
縄文人のライフスタイルの原点は肉体労働だ。お墓から発見される腰椎には、椎間板の退行性変化、椎体部の骨棘形成がはっきり認められる。この変化は現代人と較べると勿論のこと、江戸時代と較べても、遙かに早い年齢層で認められている。同じ事は膝にも当てはまり、関節軟骨の摩耗による変形性関節症が極めて多い。くどいようだが、これは30才の成人の変化なのだ。手関節から指関節まで同じような状況であるから、彼らの日常が如何に肉体を酷使するものであったか、少しは想像できるだろう。憧れの縄文とは言ってみたものの、長生きは期待てきそうにもないようだ。
骨の変化でもう一つ特徴的なことは骨折が非常に多いことだ。狩猟の際に全力で走り、獣と戦ったためか、前腕骨の骨折の頻度が高い。橈骨にも尺骨にも同等に骨折が認められているが、転倒が最大の原因だったようだ。深刻なのは大腿骨の骨折で、その後の歩行にも支障を来したようだが、狩猟の第一線で働くことはほぼ絶望的だったろう。
面白いのは当時副木などによる骨折固定が既に行われていたことである。骨折の接合部を見ると、縄文療法とでも呼ぶべき独自の体系があったことが窺える。無論整復固定が現代ほどに確立されていた訳もなく、接合部の変形はどのケースにも共通している。他に上顎洞に慢性の骨炎を起こしたケースが発見されている。歯槽骨の中で起こった炎症が膿瘍を生じ、それが更なる骨の破壊・吸収を促進したのだろう。虫歯の治療が進んでいなかったからと言えばそれまでだが、実は縄文時代にはおしゃれの一環として抜歯がごく一般的に行われていた。抜歯はどうも治療の形としては利用されなかったようだ。縄文人の感性の一端を垣間見る気がする。
それでは現代人の死因トップである悪性腫瘍だが、実は縄文人での実態を知る資料はほとんどない。おそらく彼らの死亡年齢や食糧事情、生活環境を考えれば、その発生は極めて少なかっただろうと推測されるくらいだ。
最後に興味深い話を一つ。成人T細胞白血病(ATL)という疾患だが、これは1976年日本人、高槻清氏によって命名されている。レトロウイルスHTLV-1の感染によって発症する腫瘍性疾患である(以上、Wikipedia)。この病気は日本、アフリカ、中南米に患者が集中しているが、日本では患者・抗体保有者の分布状態は縄文時代(後期以降)の人口分布とよく一致する。(図参照)
以上の事実は日本史上の一つの仮説と符合する。(HTLV-1ウイルスを持たない)中国系の移民が近畿地方に押し寄せ、縄文人を南北に押しやったというものだ。そこから見えてくるものは、ATLが日本、特に縄文時代の風土病であったのではないか、という学問的可能性だ。縄文時代は我々の今とも密接に繋がっている。
コロの宝箱
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- 街角を歩く
- ドクター・コロ~八重山を歩く~
- 八重山を歩くPartⅡ~四度目の訪問
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- 01.遙かなる縄文時代
- 02.僕が縄文時代を好きな訳
- 03.プラス3度の世界
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- 05.日本の埋葬を考える
- 06.石の時代
- 07.木の文化と文字
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