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20.真脇遺跡

縄文真脇遺跡

縄文真脇医籍

縄文時代を思いつくままに語ってきたが、そろそろネタ切れ?である。というわけで
しばらくは現存する遺跡について、ご紹介しよう。1回目は勿論『真脇遺跡』である。能登内浦に位置し、小さな入り江を望む高台、そこに私の大好きな真脇遺跡がある。もう真脇には5,6回出かけた。何度行っても飽きることがない。なぜ、好きか? これはもうイマジネーションの世界である。
今から、六千年前の日本。皆さんは日本列島の上空にいる。そこには何が見えるだろうか? 縄文海進の最盛期。東京も大阪も名古屋も半分は海の中だ。そんなところに大きな集落はほとんど見あたらない。土地が開け、煙が立ち上り、人々の掛け声が響く場所。その小さな点としての集落を、私達は青森~福井へ至る日本海側に辿ることができる。想像するだけで胸が熱くなりません? 真脇は紛れもなく表日本にあった。
真脇遺跡が持つ特徴の第一は継続期間そのものである。縄文時代前期から、晩期終末までの約4000年間、この集落は繁栄し続けた。現在日本最大の縄文遺跡といわれる三内丸山遺跡の繁栄が1500年間だったことを考えると、真脇遺跡の刻んだ時の長さが一層際立つ。三内丸山が1500年で潰えた理由、真脇が4000年間続いた理由、そのいずれもまだ謎である。
二つ目の特徴は、この遺跡の持ち合わせた運の強さである。日本の遺跡はその酸性土壌の故に、旧石器は勿論、縄文遺跡にしても、ほとんどの遺物を現在に残していない。そう以前に語った。数少ない例外は水辺に残されたものだ。土壌の酸性化を防ぎ、腐食に抗う。真脇もまさにそうだった。何度かの洪水が地層をパック状態とし、幸運なことに真脇の時間を明瞭に区切っていたのだ。遺跡は水田の下に年代順に層をなし、縄文時代の中での時の流れを追うことができる。『考古学の教科書』と評される所以である。
三つ目の特徴は、既に何度も話題に出たイルカ漁である。そもそもこの漁であるが、実は明治・大正に至るまで脈々と受け継がれてきていた。考えてみれば、遺跡がどうあれ、真脇にはその後も人の営みが当然続いていた。イルカ漁の漁師さんは縄文人の直系かもしれない・・・そう考えると、ちょっと楽しい。
そうそうイルカ漁の話である。湾の中に網をはり、イルカをその中へ追い込んでいたと考えられているのだが・・。それに槍なども併せて使用していたらしい。ここで取れた漁獲量はかなりのもので、全量を集落で消費したとは考えにくい。周辺に規模の小さい集落が複数存在していたのだろう。あるいはもう少し遠方までの流通ネットワークが存在していたのかもしれない。彼らの生活圏を知る上で興味の尽きないところだ。
最後に、北陸の遺跡に特有な「環状木柱列」である。1mにも及ぶクリの木が半分に割られ、柱としてびっしりと環状に並べられている。同じものは、金沢のチカモリ遺跡からも発見されている。不思議なことにこの木柱で囲まれたエリア内部からは別の遺物は発見されてない。このエリアが何を行う場所だったのか、これ又全くの謎だ。
この環状木柱列に思いを馳せる度に、私は諏訪の御柱祭りを思い出す。樅の大木を山から切り出し、四つの諏訪大社まで運ぶ。六年に1度行われる勇壮な祭り、その起源は平安時代を遡る。縄文の香り漂う古き祭り。巨木を神とした縄文人の信仰がそこに重なる。

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