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30.日本とはなにか その3

前方後円墳

日本という国を考えるとき、「天皇」こそが最も大きなキーワードである。日本の天皇家と世界の王室を比べると、その違いは明白だろう。中国にしても、ヨーロッパにしても、王室は単にその時代の権力者であるに過ぎない。時代が変われば、王室もまた変わる。つまり、歴史上もっとも現代に近い最期の王朝が現在の王室なのである。
ところが、日本の皇室は全く事情が異なる。前回述べたとおり、日本という国の誕生と「天皇」という名称は、不可分の関係にある。これが歴史を理解する上で、とても厄介な問題を引き起こしている。
その第一は「建国記念日」である。2月11日(奇しくもその日にこの原稿を書いているが)、記紀の中で神武天皇が即位したとされる日だ。紀元前660年のことだと言うから、唖然とするしかない。まだ、縄文から、弥生へと移り変わる混沌とした時代。大和朝廷の片鱗すらない。日本の歴史の出発点が神話の上に成り立っていることは、信仰の世界ならまだしも、学問的には極めて不幸なことだ。おそらく、この出発点のボタンの掛け違い、更に宮内庁の頑なな姿勢が、一層天皇家をベールに包み込んでいる、と私は考える。エジプト文明の象徴、ピラミッドは日本の研究隊も発掘に参加している。チンギス汗、秦の始皇帝の陵墓も同様に公開研究の対象だ。ところが日本はどうだ? 教科書に載っている歴代天皇陵はほとんど手つかずの状態である。宮内庁が研究発掘を拒み続けているのだ。この国の異様さが分かるだろう。歴史に背を向けて、神話に振り回される国でいいのだろうか。

日本の皇室の特異性は、時の権力とは独立して、存在し続けた点にある。平家の頭領、平清盛は天皇家と一体化することで、自分たちの権勢を維持しようとした。そして、それに失敗した。源氏はその失敗に懲りて、天皇には頼らず、東に別の権力を打ち立てた。それが鎌倉幕府である。頼朝が基盤としたのは、関東を中心とした東国であったことは明白である。この東西の対立は、その後も日本の歴史に色濃く残る。清和源氏を名乗る徳川家に、天皇家を擁して、西の長州、薩摩が立ち上がったのは偶然の産物だろうか。
神話と一体化した天皇の権威に挑戦しようとした人間がいなかった訳ではない。そのひとりは、足利義満である。「天皇になろうとした将軍」と別称まであるが、詳しくは触れない。そして、もうひとり、織田信長である。比叡山延暦寺を焼き討ちにしたほどの徹底した唯物論者(私の最も嫌いな戦国武将ですけど)だった彼は、「第六天魔王」と称し、自らを礼拝するお堂まで安土城内に建てた。神をめざした男、信長。その彼が天皇の下につくことをよしとしただろうか。この辺りは今も議論が多い。もし、信長がもう10年長生きしていたら・・・

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