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05.日本の埋葬を考える

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今日は縁起でもないお墓の話である。いや正確に言うと、ちょっと違う。日本における埋葬の話である。
さて、現在の日本の埋葬は火葬である。そんなことは当たり前・・ではないのである。火葬は世界的には少数派だ。キリスト教もイスラム教も基本的には火葬を認めていない。そもそも日本で火葬が一般的になったのは明治政府が奨励したからに他ならない。極めて歴史は浅い。
縄文時代はどうだったか。これはもう中学校の歴史問題にも出題される。このエッセイを読まれている多くの皆さんは即座に「屈葬」と答えるだろう。母体内での胎児を思わせるその埋葬様式は彼らの宗教観を知る上で実に興味深い。それではその後の日本の埋葬はどうなったか。まあお墓もごちゃまぜにしてお話をしてみよう。
縄文から弥生にかけて、棺の形は変わっても、基本的には土葬である。そしてそれに続く古墳時代。権力者だけがその生前の力を誇示して、様々な古墳に埋葬されている。天皇陵に代表される前方後円墳が名高いが、方墳・円墳など山が二つあるタイプのものが主流である。一般庶民に墓の造成が許されなくなったのもこの時代だ。今に残る谷の地名は一般民衆の死体が埋められ、捨てられた土地を表している。
火葬が日本に初めて登場するのは奈良時代に入る直前である。記録に残る最初の火葬は僧道昭の例である。遺言によって火葬されたと言われているが、インド・中国を経て広まった仏教の影響が色濃く反映されている。何より仏陀は火葬され、その骨は仏舎利として世界に広まったことが根底にある。その後上流社会に火葬は広く浸透するが、その流行は長くは続かなかった。
平安時代に入り、世は乱れる。一般民衆は埋葬どころか、野辺にうち捨てられることも多かった。今の東山、清水の舞台から見下ろす辺りは死体の山だったという記録もある。鎌倉・室町・戦国時代と多くの有名な武将や貴族の墓は我々は知っている。しかし、そうした墓は実は社会の上流階級だけのものだった。
それでは一般庶民が墓に埋葬されるようになったのは何時の頃か?それは江戸時代後半になってからだ。儒教の輸入とその広まりに伴い、幕府が庶民に墓の造成を許したのである。そして、やがて明治における火葬とお墓の建立へと繋がっていく。火葬は墓地の深刻な不足から必然的に生まれたものであり、この頃より墓を守ることを通して、家を長兄が継ぐという意識が育てられていった。
日本の埋葬の歴史を見ると、この国における死者への意識の変化が実によく分かる。古墳時代より、江戸後期まで一般民衆は死後のアイデンティティを保証されていなかったと言って良い。今でも分骨として、京都の本願寺へ出かける風習が残っている。この分骨は明日の行方も知れぬ時代、一般民衆が自らの骨の一部をせめて親鸞聖人のそばにという思いで生まれてきた風習なのだ。家も土地も失われた時代。彼らがどんな思いで自分達の一部を託したか、現代の私たちには想像すべくもない。
二十万年前に世界に出現したネアンデルタール人。イラクで1950年代に発見された彼らの墓からは、数種類の花粉が発見されたという。仲間を送るのに、花を手向けた旧人達。屈葬という形を一万年の長きに渡り続けてきた縄文人達。一体どの時代の人間こそが心豊かだったのだろうか。今現代人が失いつつある何かを彼らの中に見出す時、縄文は私の憧れとなる。

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