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06.石の時代

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縄文時代は言うまでもなく土器の時代である。縄文という名称はエドワード・S・モースが1877年大森貝塚から発見した土器の紋様に由来する。それではその土器に先んじた時代。無論その時代にも日本に人は住んでいた。それが石器時代である。
正確に言うと縄文時代そのものは新石器時代に属している。旧石器と新石器時代の違いは打製石器と磨製石器の違い。言ってみれば石器の加工度の違いと言われるが、その境目は当然のことながら判然としない。
かって「日本に旧石器時代は存在しなかった」と言われてきた。その理由はあまりにも単純だ。旧石器時代の遺物が全く発見されなかったのだ。それは半ば定説となって、戦前の日本考古学会を支配していた。ところが1949年それを覆す衝撃的発見があった。「岩宿遺跡の発見」・・・一介の行商人だった相沢忠洋氏が執念の発掘により、槍先形石器を関東ローム層の中から発見した。その発見が日本の歴史の1ページを開いたと言っても決して過言ではない。彼が書いた「岩宿の発見」を胸躍らせて読んだのは私が中学生の時だった。
なぜ日本における旧石器の発見がかくも遅れたのか。それは日本特有の酸性土壌のせいなのだ。ヨーロッパでは石器と共に実に多くの遺物が発見されている。「骨」「貝殻」「装
飾品」など実に多彩だ。つまり、石器と一緒にいろんな生活の痕跡が見つかるのだ。当然そうした遺物が多ければ多いほど、石器を含んだ遺跡に遭遇するチャンスは増大する。
関東ローム層に代表される日本の酸性土壌はすべての物を時間と共に融解する。まさに「土に返る」わけである。残されるものは石器そのものだけだ。その石器だけを頼りにかの時代の遺跡を探り当てるのはまるで千里浜に落ちた一粒のビーズを探すようなものである。その困難さが理解していただけるだろうか。
そうした中で不幸な事件が起こった。1980年から1981年にかけて、東北を中心に後期旧石器を遡る数々の旧石器時代の遺跡が発見されたのだ。考古学会はその快挙に湧いた。只一人の  人間によって相次いだ奇跡の発見。誰もその異様さを指摘しなかった。それどころか彼の参加する調査は期待と興奮に満ちたものだった。「神の手」としてもてはやされ、常に新たな成果が期待されていた。だが結末は無惨だった。ある日、その発掘状況に疑問を抱いた新聞記者が、発掘前夜石器を埋める彼の姿を写真に捉えたのだ。
思えば、すべてがあまりにも不自然だった。彼の発見した前旧石器・中石器時代の33すべての遺跡がねつ造と断定され、考古学会と古代史が受けたダメージは計り知れない。
町起こしを願った地元の落胆、古代史を愛する人達の嘆き。哀しい事件だった。
今日本に確かな足跡を辿れる遺跡は四万年前の後期旧石器時代までである。しかし、何時の日か、第二の「相沢忠洋」が必ずや現れるに違いない。数十万年前、日本の各地を移動した旧人や新人達。その姿を想像すると胸が熱くなる。火山の国、日本。すべてが土に返る国、日本。次回はその日本に発展した「木の文化」について触れてみたい。

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